1988年に米国不動産エージェントとして働き始めて今年で35年目となる。30年前後だと思っていたがいつの間にかこんなに月日が経っていた。その頃のエージェントとしての毎日を思い出してみた。その当時の事情と今日とを比較してみたい。
(当時)ライセンスを取得して最初に所属したオフィスはセンチュリー21で当時米国では最大の住宅系仲介企業であった。毎週一回地域(狭い地域に限定)の不動産協会から分厚いブックが出版されておりそこに売り出し物件情報が掲載されていた。出たらすぐに読み通して新たなデータを確認するのが一番重要な仕事であった。毎週金曜日の朝にミーティングがあり、そこでブローカー・マネージャーから新たな法規、アドバイスの説明があり、その後に物件情報を共有したいエージェントが参加者に説明していた。
(現在)自分でブローカーとなってオフィスを運営している。物件情報はMLS(マルチプルリスティングサービス)から入手している。情報はリアルタイムで出ている。ミーティングはリモートで行う。新しい物件情報はSNSやメールで共有している。
(当時)各地域(各都市)に不動産協会が分かれて存在していた。売り物件情報はコンピューターからではなく協会に足を運んでそこで手書きの書式に記入して提出すると協会でコンピュータ入力された。ネットワークに物件情報が出るのは次回のブックが配布される時であった。カーボンコピー付きの契約書式は全て協会でエージェントが購入していた。1つのMLSがカバーする地域は限定されていて、地域外になると情報入手のために他の不動産協会に費用を支払って入会する必要があった。そのため多くのエージェントは地域限定型のファーミングが中心であった。
(現在)各地域のMLSは統合化が進み、ロサンジェルス・オレンジカウンティーでほぼ1つだけの存在となった。そのため取り扱い物件数は飛躍的に増加した。エージェントも幅広く活動できるようになった。書式は全てクラウドベースデジタルフォームとなり、サブスクで支払えば無制限に書式を利用できる。
新規売り出し物件はデスクトップで全て入力・アップロードされる。
(当時)携帯電話がないのでオフィスや家からの電話が主なコミュニケーションであった。ビーパー(ポケベル)が出た時にはエージェントがこぞって手に入れた。1990年に最初の携帯電話を購入した。NEC社製で弁当箱ほどの大きさで1キロ以上のの重さがあった。街の中の一部でしか電波が通じなかった。フル充電で2時間持たなかった。それでも車や現地から電話できることは素晴らしかった。
(現在)携帯電話はもはや電話ではなくてマルチツールである。電話、スキャン、メール、SNS、計算機、物件情報、登記情報、ナビ、カメラ、ビデオ、ニュース、ロックボックスキー等、必要な作業をほとんどこれ一台でこなせる。あらゆる作業がリモートでできるためオフィスや自宅で事務処理という限定がない。
(当時)ショーイングするときはクライアントの家かオフィスで会う約束をしてそこからエージェントの車で家を見に行くのが普通であった。そのためセンチュリー21では車をいつも綺麗にすること、車は4-五人がゆったり乗れるタイプを選ぶこと、できれば見栄えの良い高級車はアピールポイントになるので先行投資だと思って買うことなどのアドバイスがあった。ナビはもちろん付いていないのでトーマスガイドと呼ばれる分厚いマップをコピーして赤線で経路をマークするか、そのままマップを運転席の周りに置いてみながら運転するかの選択肢があった。マップは毎年購入しないと新築物件などの位置がわからず困ることが多々あった。その後マップクエスト(マップソフト)が登場してこれをプリントしてショーイングできるようになりかなり楽になった。物件の現地でクライアントとミートする方法もあったが、たいていクライアントが場所を探せずアポに遅れたり来れないこともあるのでエージェントの車で行くか、後ろに付いて来てもらうかが一般的なやり方であった。
(現在)ショーイングは現地集合のみ。今でも車を大切にすることや少し高級車に乗ることは必要である。ナビはスマホでも車載ナビでも正確に物件に誘導してくれる。マップ情報は随時アップデートされるので新築物件の場所がわからないということはほとんどなくなった。クライアントが物件を見つけられず迷子になることもほとんどなくなった。
(当時)物件情報もブックには一件あたり白黒写真が1枚しかなくて、テキストの説明も10行くらいだった。とてもこれだけでは物件のことがわからないので、現地を見てきた他のエージェントに聞いたり、キャラバン(グループでエージェントのためのオープンハウスを回ること)に参加するなどの方法で詳細情報を得ていた。
(現在)MLSの情報には、数十枚のカラー写真、ビデオ、3Dツアー、バーチュアルツアー(Matterportなど)を通じてビジュアル確認ができる。テキスト情報量は当時の数十倍になった。エージェントが情報提供しなくてもクライアントは不動産ポータルサイトで自由にリアルタイム情報を得られる。その情報もエージェントが持つ情報とほとんど変わらないためエージェントでしか持っていない物件情報はほとんどない。
(当時)気に入った物件が決まるとすぐにエージェントに電話してまだ売り出し中かどうか確認してからオファーを書く作業に入った。オファー用紙はクライアントと一緒に2-3枚で黒のペンで書き込み村ばでサインをもらって、オファーをファックスで送るか売り手エージェントのオフィスか売り手の家に行ってオファーをプレゼンしていた。ファックスの書類は正式書類として認められなかったため必ず後日郵送にてオリジナル書類を交換することが義務付けられていた。
(現在)MLSに出ている売り出し物件はまずその日の時点で売り出し中であることが多いが売り手エージェントにテキストで確認する。クライアントとはデースタイムやズームミーティングできるため海外でもビデオでミーティングできる。オファーは書くものではなくなった。デジタルフォームに記入してクライアントには会うことなく説明をした上でメールして電子署名をいただく。オファー用紙は16-20枚。ファックスは多くのオフィスで使用されていない。オリジナル書類は必要なくなった。
(当時)オープンハウスの情報は各エージェントの宣伝広告か不動産協会のブックに掲載されたものをみていた。途中で仮契約になってしまっても情報がアップデートされていないので無駄足となることが多かった。
(現在)MLSやポータルで物件の各部屋や間取り図、フィーチャーまで詳しくみられるため、クライアントはリモートで物件をスクリーニングできる。オープンハウスではすでに大体の内容がわかって気に入った物件だけに絞ることができる。オープンハウスのスケジュールもリアルタイムで入るため時間の無駄がない。
(当時)各種インスペクションは手書きで当たっためレポートが出来上がるのに最低2-3日を要した。レポートは関係者5-6人に全てコピーして配布された。レポート中にある写真の数は限定されていた。典型的なレポートページ数は10-20枚。
(現在)インスペクションレポートも全てデジタル管理されている。インスペクション当日か遅くても翌日にはレポートは関係者全てにメール配布される。写真や見取り図が多く加えられ典型的なレポートページ数は70-100枚。
(当時)手付金や決済時の支払いは銀行チェック(小切手)。決済時には個人のチェックだと不渡になる可能性があるため、Cashier’s check(現金小切手)のみが利用された。
(現在)小切手も有効であるが、振り込みが主流である。銀行に行かずに決済が可能。今後はデジタル通貨で決済できるようになる。
(当時)ローンもオファーと同じく書きこんだ申請書をもとにレンダーが審査を進めた。収入証明や銀行残高などの提出書類は全てオリジナルを持参するか郵送していた。信用調査はレンダーが主に担当していたため、借手にはほとんど自分の信用がどのようになっているか不明であった。
(現在)全てレンダーが用意したサイトにあるソフトに記入するだけで、追加書類もそのサイトにアップロードすれば手続きが済む。融資承認にかかるに数はかなり短縮された。信用調査は各種アプリで消費者が随時無料で入手できる。借入書や担保設定書には公証人の捺印が必要である。
今後ローン書類も完全にデジタル化してペーパーレスになる。公証手続きもデジタル化される可能性が高い。
(当時)オーナーがいなくてもエージェントがショーイングできるロックボックスは手動式で4-5桁のダイアルを回してキーを取り出した。どのエージェントがショーイングしたか不明。ショーイングを夜行なっていても制限できなかった。
(現在)スマホのアプリでシンクさせる方式で、ショーイングしたエージェントの情報、期日と時間などがスマホで確認できる。ショーイング時間もプログラム可能。アポを入れてきたエージェントのみに追加コードでショーイングを限定することもできる。
(当時)ショーイングのためクライアントと現地に向かう車中で話をしながら、クライアントと打ち解けて不動産取引に関する目的やプランを協議する。運転しながらマップを確認しながらクライアントと協議するにはかなりのマルチタスク能力が必要であった。
(現在)ナビでマップ入力すれば行き先には間違いなく到着できる。自動運転ができればハンズフリーで運転という作業がなくなる。運転しない分別の車にいるクライアントと車中ミーティングしたり物件情報をスクリーンで見ることができる。
このように35年間の期間で不動産ビジネスのやり方は大きく変わった。おそらく若い世代の方々にとって物件情報を掲載したブックやトーマスガイドは全く理解できない代物であると思う。今後35年、いや10年を考えても変化のスピードがさらに加速すると思われる。全く予測がつかない事態があり得る。